適応障害について
今回は私が適応障害と診断された経由と原因
その頃の様子や心境について当時の日記を頼りに書き残したいと思います。
私は*家庭環境や*学校生活(*別の記事にて)において苦しんでいたこともあり、早くに自立...ここで言う自立は一人暮らしのことです。
とにかく早く家を出て自分一人で生活したいという気持ちが強くありました。
なので高卒で寮のある職場に就職しました。
職業は接客業。営業に所属になりました。
マイペースで内気な私の性格から言って接客業は向いてないのは充分承知してました。
学生の時も先生に考え直せと反対されたものです(笑)
それでもこんな内気な私が変われるチャンスかなとも思ったんです。長所であげるならば責任感は強く継続力が自慢でしたから。仕事だと割り切ってしまえば、為せば成ると思ってました。
就職して半年頃、新入社員全員で接客の基礎について学ぶ為H県に*1週間研修へ行きました。
働くって本当に大変だな...
お客様の為に私は何が出来るかな?
私にしかできない接客ってなんだろう?
怒られるのも経験の内。褒められた時やお客様の笑顔を見た時は本当に嬉しいな...
アンケートに名前まで書いてくれた!
ポスターみて会いに来ましたってわざわざ遠い県から遊びに来てくれた!
見てくれている人は見てくれているんだな...
さらに半年後、私はH県での*3ヶ月研修が決まりました。
そんな調子でトントン拍子に時間は過ぎていきます。順調だったと思います。
仕事は大変で苦しくて沢山泣いたけどその度に先輩や上司に支えられ、まるで家族の様なアットホームな職場でした。
さて、*3ヶ月研修も終えて故郷に帰ってくる頃には7月後半と真夏日が続く日々☀️
今思えばこの頃から私は既におかしくなりつつありました。ぼんやりとした日が増え、仕事はいつも通りこなすが普段は気にならなかった事が異常に気になりだします(当時は自覚なし)
当時の症状
- 先輩のジョークが笑えなくなる
冗談なんだろうけど何故か心にささるものがある。
というか冗談に聞こえない。
- 趣味に打ち込めない
以前は中抜けの合間を寝る間も押しんでしていたゲームや小学生から大好きだった絵が描けない。
- なぜ仕事をしているのか分からなくなる
元は家を早く出たくて寮に入り貯金しながら家にもお金を入れていたが、いくらお金が溜まっても生活資金以外なにも使いたいことがない。
- 人影や声を聞く
赤い服を着た真っ黒なロングヘアの女性がふっと現れるのです。寮の中では女の子が走り回り、黒いモヤを見るようになりました。念仏のような男性の声、つけたはずの無いテレビがつく。ものが勝手に落ちる。
- 夢なのか現実なのか
もはや自分が寝てるのか起きてるのかすら分からない。
- 記憶が飛んでいる
気付いたら日付が過ぎていたり知らない場所にいる
買った覚えのないものがある。
書いた覚えのない文字や絵。
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H26.8.22 気付いたらとあるメンタルクリニックを訪れていました。ここでは判断しかねますので大きい病院へとF病院紹介状を頂き現在通院してる病院に行き着きます。
CT検査、尿検査、血液検査etc...
全く問題なくS先生の診察の結果『適応障害』と診断されました。
その後私は通院して診察、薬物療法と カウンセリングを受けながら引き続きお仕事に励む日々を送るのでした。
と まぁざっくりですが私が当時F病院で『適応障害』と診断されるまでの流れでした。
話せていない事もあったり * 印のついた項目は詳しくブログに乗せていこうと思っています。
ここまで読んで下さりありがとうございます(*・ω・)*_ _)ペコリ